記録がてら、今回の震災に関しての初動のメモをまとめておく。
3月9日 仙台で地震発生
SMSでの家内とやり取りで、大きな地震の発生可能性を警告している。
これには理由がある。
1978年宮城県沖地震では、本震の発生前に前震と小さい地震の群発があったので、似た症状の場合は、いつも警告を発していた。過去にも何度かこのような警告をしたことはあり、オオカミ少年ではないが今回も警告を発していた。
3月11日
朝からNTTデータ九州支社の地下の会議室で行われた研修に参加していた。
16:00頃、研修主催会社スタッフから、地震で仙台が大変なことになっているみたいだと連絡をもらった。
慌てて地上に出て状況を確認。
iPhoneアプリ『ゆれくる』で緊急地震速報の発令を確認。発生時間14時46分頃。仙台で震度5弱程度と認識。
子どもたちは学校にいる時間だから、学校にそのまま待機しているだろうと推測。
とりあえず、家内へ連絡を試みる。
16:06 家内携帯電話へSMS発信「連絡取れ次第安否知らせてください。」
すぐに、家内から返信あり「無事よ、私はだいじょうぶ」
この段階では、震度5弱の地震と認識していたので、わざわざすぐに仙台に帰るまでの必要もないだろうと思い、家内へいくつかSMSを出して、地下の研修室に戻った。
16:30頃から研修の休憩時間に入ったので、再び地上へ。
iPhoneを使って情報収集を始める。
TwitterのTLを読んでみると、ただならぬ雰囲気が感じられた。
気象庁発表のマグニチュードを見て、ただごとではないことをようやく理解。
想定された宮城県沖地震の単独型、連動型よりもさらに桁違いに大きい。
これはまずいと思い、仙台に帰るための情報収集を開始。
このときすでに仙台空港が津波に襲われたとの情報は得ていたが、ANAの予約システム上ではまだ欠航になっていなかったので、他の空港(新潟とか福島とか)へ向かって運行されることを期待して19:20発のANA福岡仙台便を予約。
東京の実家には、無事だからこちらが電話するまで安否確認等の電話はよこさないように連絡しておいた。
16:37 家内へSMS発信。
荷物をとりに地下へ戻ろうと階段を降り始めたところへ、家内から電話がかかってきた。
16:45 家内と通話
家内は無事だが、津波でビルに閉じこめられて水がひくまで当分出られそうにないとのこと。
私も、仙台空港への飛行機を予約したが、飛ばないかもしれないことを報告。とりあえず帰る方向で調整することを報告。
17時頃 ホテルへ戻りテレビで情報収集。
テレビで流れる映像を見て、事の重大さをあらためて認識。
17時半頃、飛行機が飛ばない可能性もあるため、ホテルはチェックアウトせずに、荷物は全部持って福岡空港へ向かう。
空港カウンターで欠航を確認。
ANA新潟便は、16時にすでに飛び立っていた。明日の便(16時発)ならまだ残席があるとのこと。
仙台便は翌々日3/13に残席があるとのことで、とりあえず予約だけ入れてANAカウンターを後に。
続いて福岡空港でJAL便を検索。
JALの福岡から東北へ向かう便はすべてすでに満席状態だった。
福岡からの今日の空路は諦めた。
急ぎ、空港から博多駅へと戻る。
別のプランへ移行。
東京か大阪まで移動して、選択肢を広げる。
地下鉄内でtwitterのTLで、東京が大混乱で帰宅困難者が多数出ているとの情報を得る。
東京へ向かうのは危険と判断。
大阪を目指すことに決定。
チケットショップで新幹線チケットを購入。
(後でわかったことだが、いずれにしろ東海道山陽新幹線は新大阪までしか運転していなかった。)
博多駅にて、大阪空港発着便の空き状況を検索。
軒並み満席状態。取れない。
19:06 家内からの電話を着信。
津波の水がひかないため、今晩は避難しているビルで泊まるとのこと。
携帯電話の電池が切れるためこれが最後の通話、あとは連絡が取れなくなった。
福島か新潟経由でなんとか帰ると話す。
19:24 家内にSMSを送信
その後、かろうじて翌朝のANA大阪新潟便を予約できた。
新潟までの足は確保、次は新潟から仙台までの足をどうするか。
取り急ぎレンタカーを検索。
仙台で乗り捨てできるプランで予約を試みるが、空きがない。
電話での問い合わせを試みる。
19:44 新潟のレンタカー会社へ電話するが応答なし。
レンタカーがだめでもバスが走れば、と思いバスの運行状況を電話で確認。
19:55 仙台のバス会社へ電話;時間外で応答なし。
新潟のバス会社へ電話;時間外で応答なし。
新幹線の発車時刻となったため、ここまでで断念。
20:00 博多発の新幹線で新大阪へ。
新大阪へ向かいながら、WEBで大阪のホテルを検索。
どこも空いていない。
新幹線の中から、たぶん届かないだろうけどSMS発信
新大阪到着。
新大阪駅には人が溢れかえっていた。
新大阪から東京方面への新幹線が止まっている影響で、足止めになった人たちが駅泊。
この状況じゃだめそうだと、ホテルは諦めて、ネットカフェを求めて大阪駅へ向かった。
大阪駅周辺のネットカフェをiPhoneの『マップ』アプリで検索。
1件目は満席で断られたが、2軒目で個室を確保。
歩きまわって汗だくの上に、ネットカフェ内の暖房がひどく暑い。
汗をダラダラ流しながら、明日、新潟からの足をどうするか、方針を決めるために情報収集。
Twitterで「バス 新潟 仙台」で検索をかけたところ、「明日のバスは運行中止のため、チケットの払い戻しをしますと連絡があった」とつぶやいている人を複数発見。
新潟仙台便のバスはないと確信、残るはレンタカー。
レンタカー会社のサイトで予約を試みる。
被災地域の営業所は連絡が不通のため、貸出、返却ともに予約対象外となっていた。
そのため、仙台乗捨での予約ができなくなっているようだ。
最悪、新潟で借りて山形で返すとか、そういう借り方をしようと思いながら、検索を続けると、仙台で乗捨する条件で借りられる会社が一社だけあった。
しかも、車も最後の一車。
他社の状況を見る限りでは、おそらくWEB予約システムのエラーだろうが、予約してしまえばこっちのもの。
見事、仙台乗捨の条件でレンタカーを確保した。
26:01 予約完了
これで仙台までの足は確保。
高速道路は、東北道と磐越道は通行できるとは期待していなかったが、予想通り通行止め。
新潟から山形周りのルートでは、ネックは笹谷トンネルのみ。
HPでの発表で、笹谷トンネルの通行が可能であることを確認。
ルートは山形まわり286経由に決定。
4時間で仙台までたどり着ける。
このときまでに、twitterのTLからGoogle person finderの情報を得ていたので、被災地域に乗り込むとおそらく通信手段が絶たれるだろうと思っていたので、この時点でPerson finderに自分の安否情報を登録しておいた。
安否情報には、その後の状況の推移はTwitterで発信すると書いておいた。
その他、安否確認メールに返信を書いてから、明日に備えて寝ようと思ったが、気が高ぶっているのとひどい暑さとで眠れない。
うつらうつらしている間に、朝5時となり、大阪空港へ移動を開始した。
3月12日
5時 ネットカフェを出て大阪空港へ移動。
大阪空港のカードラウンジが6時半から開くので、そこでシャワーを借りようと目論んでいた。
が、行ってみたら、シャワーがなかった!
すっかり他の空港と勘違いしていたのか、シャワーがあるとばっかり思っていたので、かなりがっくりした。
仙台に戻ったらしばらくお風呂には入れないことを覚悟していたので、あぶらギトギトの頭でこのまま帰らなければならないことに本気でがっかりした。
大阪空港でいくらかの食料を買い込み飛行機で新潟へ。
大阪新潟便は、私と同じように仙台方面を目指す人が多いようだった。
新潟空港から新潟駅へのリムジンバスも、同じく。
バスが運行しているかどうかを気にする会話や、バスがだめならレンタカーだななどと言っている会話が聞こえてくる。
新潟駅南口にリムジンバスが到着、歩いてすぐのレンタカー会社へ。
私がレンタカーの手続きしている間に他に4組み来客があった。
うち3組は予約なしのために断られていた。
レンタカーはそれしか残っていなかったという理由で、8人乗りのバン。
結果的には荷物が一杯積めるので良かった。
ラジオを聞きながら車を走らせるが、そのなかで多賀城のソニー仙台に1200名取り残されているという情報があった。
家内はソニーの向かいの建物にいる。
ソニーに1200人もいるのでは、家内が救出されるのはだいぶ先になりそうだと推測。
早く家に帰らなければ、と気がせいた。
走り始めてまもなく、義理の妹からSMSが入った。
子どもたちを保護したとのこと。あせらず帰ってきてくださいとの気遣いのメール。ありがたい。
新潟県内から出る前に、ホームセンターなどで必要になりそうなものを買って車に積み込んだ。
ホームセンター コメリで買ったもの。
トイレットペーパー
水
菓子類
自動車用のDC/ACコンバーター
カセットコンロ本体
上記スペアカセット
懐中電灯
携帯用ラジオ
ここで、ガソリン携行缶を買って、ガソリンを給油して積んでいこうかとも少し考えたが、買わなかった。
7号線から113号線へと走り、山形方面へ。
山形ローカルのラジオを聞いていたところ、山形市内が停電しているとの情報。
また、ガソリンスタンドに行列が出来ているとの情報。
しばらくはそのような気配がなかったが、赤湯付近から、状況が一変。
携帯電話が圏外に。
信号がついていない。
店が空いてない。
ほとんどのガソリンスタンドが空いていないなかで、空いているスタンドに大行列。
赤湯から山形市内まで、ずっと同じような光景が続く。
地震による建物被害などは目に入らないが、とにかく信号がついてない。
店があいてない。
空いているスタンドに行列している、の繰り返し。
携帯電話はずっと圏外。
携帯が圏外になりTwitterも使えなくなってしまったので、ICレコーダーに文字通りつぶやきを録音。
録音した音声を文字に起こしてみる。
13:37「山形市 松山交差点のちょっと南にあるGSが空いていて渋滞中」
13:37「山形蔵王IC手前ローソン 閉まってます」
13:38「山形市内 軒並み停電中で店も空いてません」
13:38「山形市内 信号機が2つに一つくらいのペースで突然生きてます」
13:40「山形蔵王IC手前のGS空いているみたいで渋滞中。すごい列です。」
13:41「高速道路は笹谷トンネルのみ通れるようです」
14:06「川崎町内も信号機がついていません。おそらく電気が通ってないと思われます。ローソンが閉まってます。」
14:06「宮城交通の山形行きとやたらすれ違います。もう3台、4台くらいでしょうか。宮城交通が山形へ人を搬送しているようです」
14:07「丼屋あいてた。いなばうあ丼とかやっている『よーい丼』空いてます」
14:08「サンクスがありましたが、開いてないようです。」
14:09「ガソリンスタンドも開いてません。」
14:09「コメリは開いてません。ローソンに人が集まっているから開いているのかな。ラーメン屋さんは開いてません。」
14:13「川崎町湖畔前のスタンドは被害を受けながらもやっているみたいです。セブンイレブンは営業中止、」
14:14「川崎町内は橋の段差一箇所と歩道が壊れていたところがありますが、286は問題なく走れています。」
14:15「釜房(湖)の水が全然減っているように見えるのはどうしてでしょうか?もともとなかったんでしょうかね?地震の影響があったんでしょうかね?すごい減っている感じがします。」
14:16「釜房ダム周辺に被害はないようです。」
14:20「川崎町内電気きてないですね。仙南生コンまできました。この辺まで信号ついてませんので、電気がきていないようです。」
14:25「停電しているところはほとんど圏外になりますね。携帯電話が入りません。アンテナに電気が行ってないものと思われます。」
14:27「仙台市内入りましたけど、まだ、信号ついてませんね。あ、なんか事故ってる車がいます。」
14:27「286茂庭交差点、信号機が消えている関係で、交通事故が発生しています。交通誘導だれもいません。交通事故発生しています。恐る恐る通ります。」
14:28「茂庭交差点近くのゼネラルスタンド空いているようです。そのため、給油待ちの車が長い列が出来ています。ジョイフル超えて、ずーっと坂の上までつづいているのが見えます。」
14:29「給油待ちの車の列は、ローソン過ぎてまだならんで、ずーとならんで、高速道路の高架の下をくぐって、さらに並んでバス停過ぎて、コマツレンタルのところまで続いています。」
14:30「仙台市内286信号機がついていないので、非常にこわいです。」
14:31「南インター近くのファミリーマートに長蛇の列が出来ていました。」
14:31「ファミリーマートからちょっと仙台よりのエネオスはやってません。」
14:32「ライフタウンに登っていくところの信号はついていました。」
14:33「仙台市内入ってますけど被害はほとんど見えないですね。すき家前信号ついてません。怖いです。徐行で行きます。」
14:34「信号機ついてますね。郵便局前のついてますね。怖いので、ここで曲がります。ん、買い物袋を下げている人がいっぱいますね。どこか開いてるんですね。どこかに買出しにいったんだと思われます。」
14:36「あ、ヨークが開いているようです。なので沢山の人が集まっています。」
ここから約3分で自宅に到着。
地震発生からぎりぎり24時間以内に、自宅にたどり着いた。
鍵を開けて玄関に入る。
娘からの置き手紙と、家内の財布。?ん、家内の財布がなんでここに?
家の中からガタガタと音がする。
人がいる。
白昼堂々、火事場泥棒か?
恐る恐る居間のドアを開ける。
家内がいた!?
「なんでいるの?」
家内曰く、津波による水位変化がとまったが、水がある水位以下に引かない状況のため、水の中を徒歩で脱出することを決断。
朝10時半に同僚男性3人にサポートしてもらいながら、水の中を約2km歩き脱出。
その後国道45号線沿いを歩き、福田橋付近で、同行者の家族の迎えの車にピックアップしてもらい、自宅近くまで送ってもらったそうで、ついさっき家についたばかりとのこと。
ほぼタイムラグなく、私も自宅に到着したのは幸運だった。
家内は、娘たちを迎えに、妹の家までさらに6kmも歩かなければならないと覚悟していたところだった。
新潟で買い込んできた菓子(カントリーマーム)をほうばる家内を乗せて、家の片付けよりもまず娘たちを迎えに向かった。
信号機がついていない交差点をいくつか慎重に抜けて、家内の妹の嫁ぎ先へ。
感動の対面!のはずが、かなりクールな子どもたち。
「遅かったね」くらいにして。。;
こうして発災から24時間ちょいで家族が集合できたのであった。
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